批評ワークショップ
中国の炭鉱を通して見つめる家族
『炭鉱たそがれ』監督:陳俊華(チェン・ジュンホア)
「中国」「炭鉱」、この2つのキーワードが並ぶと、ジャ・ジャンクーがいくつかの映画で描いた炭鉱夫の悲運や、実際に起こった炭鉱内連続殺人事件を題材に描かれた劇映画『盲井』(リー・ヤン、2003年)を思い出す。過酷な環境で使い捨てられる炭鉱夫、炭鉱内で起こる犯罪、炭鉱管理者の横領等の問題が噴出した2000年代から2010年代以降、多くの映画監督や作家が中国の炭鉱を描いてきた。映画『盲井』は、中国当局の検閲を通過せず上映禁止となったが、国外や台湾で大きな評価を得た。中国の炭鉱にまつわる諸問題は、地上の光にさらすことが難しい。
『炭鉱たそがれ』は、カメラを向けられることを拒否する炭鉱夫のカットから始まる。メインの被写体となるこの男は、国有企業の炭鉱で働く炭鉱夫であり、監督の父でもあり、カメラを向けてくる息子にうんざりしている。被写体が「撮るな」と言っているうえに、舞台はタブー多き中国の炭鉱だ。緊張感ある導入に身構えてしまう。
観る者を緊張させたまま、カメラは炭鉱夫たちが炭鉱に入場する様子を映し、さらに、リフトで地下800メートルまで潜る。リフトに乗った炭鉱夫たちががやがやと雑談する声がうっすらと聞こえる中、リフトが降下する音が響き、壁が下から上へ猛スピードで流れていく。ワンカットで見せる映像の臨場感により、こちらの鼓膜内の気圧もおかしくなってしまいそうだ。
暗い坑内に出ると、炭鉱夫たちが狭い通路を行き交い、作業している。多くの作業が機械化され、炭鉱夫たちの防塵マスク着用も徹底しているようだが、坑内でのスリやトラブルの危険性について炭鉱夫たちが雑談する場面で再び緊張が走る。
場面が地上に戻ると、近くの別の炭鉱で爆発事故が起こり幾人かの炭鉱夫が死亡したことがテレビで報道される。続いて、映画の舞台となった炭鉱でも、人員整理という名の大規模リストラの話が伝わってくる。石炭不況のあおりをうけて、国の方針が変わったことが原因だという。リストラされるのは、出稼ぎへ行った実母の代わりに監督を子供の頃から育てた後見母らだ。リストラ通告を受けた者たちは、国有企業の割には補償額が少ないと怒り、集まって話し合う。一部の者は天安門広場での抗議を企てようとするが、皆の事情はバラバラで、抗議活動への熱意が煮え切らない。
監督自身がカメラを回し、父や後見母、友人、そしてその周辺の炭鉱で働く人々を主な被写体とするこの映画は、2014年から2019年までの約6年間で撮影されている。時が経つにつれて撮られることに慣れたのか、被写体たちがおおらかにありのままに自ら語り出すようになるのが興味深い。炭鉱のシリアスな諸問題を受け継ぎながらも、映画後半では家族愛や友情にフォーカスが当たるようになる。例に漏れず、監督の父もカメラの前で次第に饒舌になっていて、前半の緊張が解けてホッとする。監督の後見母となった女性が自宅で見せる柔らかな表情も、リストラに怒る前半での彼女と対照的だ。そういえば、この約6年のあいだに、中国ではSNSや動画サイト、ショート動画が爆発的に流行した。多くの人が「撮られる」ことに慣れた期間に撮影されたということも、被写体のカメラ慣れを加速した要因のひとつだろう。終盤になればなるほど、カメラは被写体との距離を縮めていく。ある陽気な炭鉱夫は、ネットが身近な告発の手段にもなり得るということを知ってか知らずか、「ネットにあげてくれ!」とカメラに笑顔で言い放つ。
石炭不況や炭鉱での労働問題を追いつつも、現代中国の労働者それぞれが抱く不安や悩み、幸福観や価値観の差異が見えてくる。同じ労働者と言っても、ひとまとめにすることは難しく、家庭の事情も思想もバラバラだ(だからこそ、抗議活動では団結できなかった)。監督はそこに着目し、映画後半では被写体たちの人間性をおさえることに集中したのではないか。例えば若い炭鉱夫の友人は、撮影期間中に最初の子供が産まれたにもかかわらず、終始不安そうな顔しか見せない。炭鉱夫という職業の未来を憂慮しているのだろうか。また、出稼ぎに出て家族と別れて暮らす監督の実母は、感情に任せて怒りと悲しみを家族にぶつけるシーンにのみ登場し、客観的な背景や家族の事情について映画の中で説明されることはない。説明を控え、その代わり被写体に近づき感情や表情の部分に照準を合わせることで、炭鉱を取り巻く人々を一般化してしまわず、ひとりひとりの個性ある人間として映し出すことに成功している。
映画の最後には、カメラマンを兼任した監督も自ら被写体としてカメラの前に座り、饒舌な父と一緒に映像に収まる。父子の会話にこれといって感動的な要素はないが、撮る側と撮られる側としての約6年間の関係の末に、家族としての距離が最も縮まった場面だ。『炭鉱たそがれ』は、炭鉱問題を通して、家族の関係を見つめ直す映画なのだ。
(山本佳奈子)